スペインバスク地方とETAについてのblogです!でも最近は就活のこともupしたりしてます☆ぜひぜひコメント残していってください!


by remona121
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歴史ⅲ

前回パンプローナ王国の誕生のところまで書いたので、その続きです。

パンプローナ王国が誕生した頃、バスク王族出身のサンチョ・ミタラがカール大帝の支配から独立します。このバスク公爵領は10世紀に、全バスクの主ギジェルモ・サンチョの時に全盛期を迎えます。やがてサンチョ大王は、カスティージャ、アラバ、ビスカヤ、ギプスコア、レオン、アラゴンに至る広大な地域にナバラ王国の宗主権を及ぼし、サンチョ・ガルセス3世の時代にスペインキリスト教勢力の中で覇権を握りました。

ナバラはキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動、711~1492年)の実質的端緒を開いた土地で、ナバラの剛勇サンチョ7世は、イベリア半島からイスラム教徒軍を追放するきっかけとなったラス・ナーバス・デ・トロサの戦いでキリスト教徒軍を勝利に導いた人物です。

しかし、このあとナバラ王国は国力を失っていきます。サンチョ7世の死後、王位継承者がいなくて、そのうえペストの流行により人口が減少してしまったのです。そして、ナバラ王国は衰退しフランスに統合され実質的に消滅してしまいました。

14世紀後半になると、バスクはカスティージャ王国に併合されます。それと同時に、このとき初めてバスク地方北部からバスク民族主義の表明と独自の権利奪回の動きが表面化したのです。

また18世紀になると、ギプスコアではマヌエル・デ・ララメンディが伝統・文化・言語など民族的概念に基づくバスク国の思想を広め、スペインへの統合に反対する立場を貫きました。


なんだか、説明が下手でよくわかりませんね・・・すいません^^;
とりあえず・・・少しずつ、民族主義の考え方が出てきました。

参考:「バスク民族の抵抗/大泉光一 著」
by remona121 | 2005-08-13 16:01 | バスク

トマト祭り

今日はバレンシアから西に約50kmのところにある小さな町ブニョールで行われる「La Tomatina(トマト祭り)」についてちょっと紹介したいと思います。

トマト祭りは毎年8月の最終水曜日に行われます。テレビなどでも紹介されているので、トマト祭りというのが「トマトを投げ合う祭り」というのは知っている方も多いのではないでしょうか。
この日のためにブニョール市はトラック何台分ものトマトを用意します。しかし実際にお祭りが行われるのは、お祭り開催日の12時(正午)からわずか1時間前後。12時のお祭り開始の合図と同時に、市民だけでなく世界各地から訪れた観光客はブニョール広場を中心に一斉にトマトを投げ始め、ブニョールの街は一瞬にしてトマト色に赤く染まります。
開始から1時間後、終了の合図があると、人々はトマトを投げるのをやめ、市職員が散水ホースで街を洗い流します。そうすると、あっという間に街は元通りの姿を取り戻し、何事もなかったかのようになるみたいです。

2005年は8月31日に開催。今年は友達のトマティーナと一緒に私もトマト祭りに参加する予定です☆★ 帰国後は、トマト祭りANDスペインについて色々書いていきたいと思います^^
by remona121 | 2005-08-09 21:20 | その他

歴史ⅱ

歴史の続きをちょこっと書きたいと思います。

<歴史ⅱ>
5世紀に入ると、イベリア半島に西ゴート族が侵入してきます。476年には西ローマ帝国が崩壊し、西ゴート王国が成立します。しかし711年、イスラム勢力がイベリア半島に侵入。西ゴート王国の支配機構はたちまち崩壊してしまい、イスラム勢力がアラバまで及びます。これに対抗して、今度はフランク王国がイベリア半島に侵攻します。
778年、フランク王国のカール大帝軍はアンダルシア遠征の帰途、ピレネー山脈の麓のロンセスバリエスでバスク人に襲撃されて敗走しました。(ロンセスバリエスの戦い)その3年後、今度は北部山岳地帯に住むバスク人がカール大帝との戦いに敗れ、兵士は皆殺しにされ生き残った者(婦女・子供)は連れ去られました。一方、南部山岳地帯に住むバスク人とピレネー山脈北部の人々はカール大帝に抵抗するための強力な機関を組織しました。これは9世紀のパンプローナ王国の誕生につながり、また10世紀には分裂してナバラ王国となりました。

ちょっと分かりにくいかな・・・^^; 太字で書かれた部分を見ると、イベリア半島はたくさんの国によって支配されてきたことが分かります。

参考:「バスク民族の抵抗/大泉光一 著」
by remona121 | 2005-08-02 20:50 | バスク

歴史ⅰ

こんばんは。最近、「バスク民族の抵抗(大泉光一 著)」という本を読んでいます。もう絶版になっちゃってる本なのですが、ネットでなんとか手に入れることが出来ました^^ これからしばらくは、何回かに分けてその本をもとにバスクの歴史について書いていきたいと思います。世界史をやっていない方には、聞いたこともないような名前もいっぱい出てくると思いますが、ご了承ください★

<歴史ⅰ>
バスク人の祖先はネアンデルタール人と伝えられています。インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパ侵入以前の旧石器時代後期(約1万年~3万年前)にピレネー山麓に定住していた典型的な狩猟民族と言われています。
新石器時代(B.C.3500~B.C.2000年頃)になると、狩猟をやめて牛・豚・羊の飼育と漁労を始めます。このあと、青銅器時代・鉄器時代を経て歴史時代に入ります。

B.C.200年頃、ローマ帝国はカルタゴとの約200年に亘る戦闘の末、イベリア半島全体を征服します。しかし、バスク人はローマ人の支配に対し抵抗を続け、最後まで制圧されませんでした。そのため(前にも書いたように)、バスク人は独自の言語・文化を保持することが出来たのです。
「バスク」という総称はローマ人がB.C.100年頃「バスコニア」(ラテン語のVasconia)と呼んでいたことに由来するもので、バスク人は自らを「エウスカルドゥナク」(Euskaldunak=バスク語を話す人々)と呼んでいました。
現在使われている「エウスカディ」(Euskadi)は19世紀後半の民族運動の開始とともに登場した言葉です。


バスクの歴史はこんな感じで始まります。次は5世紀ころから書きたいと思います^^

参考:「バスク民族の抵抗/大泉光一 著」
by remona121 | 2005-08-01 21:09 | バスク