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スペインバスク地方とETAについてのblogです!でも最近は就活のこともupしたりしてます☆ぜひぜひコメント残していってください!


by remona121
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突然ですが、フランシスコ・ザビエル(Dominus Franciscus de Xabier)って知ってますよね?
カトリック教会の宣教師、イエズス会の創設メンバーの一人で、1549年日本にはじめてキリスト教を伝えた人物として有名です。しかし、彼がスペインのバスク出身だってことも知っていましたか・・・?


ザビエル(Xabier)はバスク語ではエチェバリア(Etxebarria=extxe家+barria新しい)といい、新しい家という意味です。ChavierやXabierreなどと書かれることもありますが、当時のカスティージャ語での発音はシャビエルだったと考えられています。現代スペイン語ではハビエル(Javier)です。

ザビエルは1506年4月7日、ナバーラ王国のパンプローナ近くのザビエル城主の家に生まれ育ちました。当時ナバーラ王国は独立を保っていましたがフランスとスペインの紛争の場となり、スペインに併合されてしまいます。この後、バスク人とスペイン、フランスの争いは続き、幼少期を戦乱の日々の中で過ごしたザビエルは聖職者を目指すようになるのです。

1525年、19歳でパリ大学に留学した彼は、そこで同じバスク出身のイグナティウス・デ・ロヨラに出会い彼の影響を受けます。1534年イグナティウスと同士たちはイエズス会を創始し、ザビエルもその一人に加わっていました。

ポルトガル王ジョアン2世の依頼でインド各地やマラッカで布教活動中の1547年、ザビエルは日本人のヤジロウ(アンジロー)に出会い、まだキリスト教の伝わっていない日本での布教を決心します。1549年、ザビエルは案内役のヤジロウ、イエズス会のトレス神父、ファン・フェルナンデス修道士らとともに鹿児島に上陸しました。その後、布教許可を得るために、平戸、山口をへて京都へ向かいます。しかし戦乱で荒れ果てた京都での天皇への謁見はかなわず、11日間の滞在で平戸へ戻り山口に向かいました。そして彼は、そこで宣教活動をしたのち日本での布教をほかのイエズス会士に任せ、インドへ向かいました。その後、中国が日本文化に大きな影響を与えていることを知り、今度は中国での布教を目指します。そして上川島に上陸しますがそこから中国へ入国することは出来ず、そこで病に冒されこの世を去りました。


以上、ザビエルによる日本での布教活動について簡単にまとめてみました。
バスクと日本って何の関係もなさそうですが、こんな身近に(身近ではないけど・・)日本文化に大きな影響を与えていたバスク人がいたなんて、ちょっと驚きでした。

世界史の教科書でおなじみのザビエル載せておきます^^
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by remona121 | 2005-07-29 16:31 | バスク

バスク語ⅱ

バスク語について、もう少し詳しく調べてみました。

長い間、バスク語の研究が行われてきた中でバスク語の起源についてはさまざまな説があります。例えば、イベリア語(東スペインの古代言語)やリグリア語(北西イタリアの古代言語)、またはロシアのカフカス地方のカフカス諸語などとの類縁関係を主張する説です。しかし、これらの説はあくまで仮定にすぎず、決定的な証拠はありません。

というのは、バスク語は文字の記録を残さなかった口承言語だからです。そのためバスク語は表記の上ではラテン語のアルファベットに頼らざるを得ず、隣接する言語の影響を強く受けるようになります。また、バスク語本来の語彙の中には抽象概念をあらわす語や、最近使うようになった道具などををあらわす語が存在しないため、それらを表すためにラテン語とそこから派生したロマンス語系言語(フランス語やスペイン語)からの借用が多く見られます。たとえば、カトリック教徒(ラテン語catholicus)はバスク語でカトリコ(katoliko)、十字架クルス(ラテン cruz)はクルツェ(kurutze)などです。また、政治はpolitika、フォークはfourchetta(←フランス語fourchette)と表します。

このように現在のバスク語には近隣のスペイン語やフランス語からの借用が多く見られますが、やはりその起源については謎に包まれたままのようです。しかし、バスク語がフランスのガスコーニュ地域にあたる古代アキテーヌで話されていたというのは確かなようです。

*カフカス地方:ヨーロッパ南東端、黒海とカスピ海に挟まれた地域。
*ガスコーニュ:フランス南西部の地方で、南はピレネー山脈、北と東はガロンヌ川を境界とし、西は大西洋のガスコーニュ湾(ビスケー湾)に面する。

次に簡単なバスク語を紹介します。

Egun on(エグノン):おはよう(昼食前までのあいさつ)

Arratsalde on(アラチャルデ オン):こんにちは(昼食後から)

Gau on (ガボン):こんばんは/おやすみ

Zer moduz?:(セル モドゥス)元気ですか?

Ondo eta zu?:(オンド エタ ス)元気です。で、あなたは?

Ni ere ondo(ニ エレ オンド):私も元気です。

Eskerri asko(エスケルリクアシコ):ありがとう


私はバスク語は専門ではないので、もしバスク語に興味がありましたら、「バスク語入門―言語・民族・文化知られざるバスクの全貌」(下宮忠雄 著、大修館書店)などがありますので見てみてください☆
by remona121 | 2005-07-26 12:53 | バスク

孤立した言語=バスク語

バスク語はバスク地方に住むバスク人によって話されている言語のこと。バスク語人口はスペイン・フランス合わせて50万~100万人程度です。先に述べたように、彼らはスペイン語またはフランス語を話すバイリンガルです。

バスク語はスペイン語やフランス語などラテン語に起源を持つロマンス語の言語に囲まれているにもかかわらず、そのどちらとも異なります。どちらとも・・というより、世界のどの言語とも異なるきわめて独特な言語なのです。

このようにバスク語が独自性を保ってきたのは、古代ローマ帝国における占領を受けなかったことがその原因の一つにあります。ローマ帝国が地中海方面からイベリア半島に侵入・占領し、イベリア半島はラテン語を母語とするロマンス語系言語を使用するようになりました。しかしローマ帝国は現在のナバーラ州に進入の前線基地を建設したあと、バスクまでは進駐しなかったのです。
また、その後ヨーロッパ・アルプスを越えてガリア(現フランス)にまで進軍したローマの将軍カエサルもピレネー山脈までは至らなかったのです。
このようにバスクはローマ帝国に支配されることなく独自の言語を保持した、といえます。

そして、バスク語はインド・ヨーロッパ語族言語を話す民族がヨーロッパに入ってくる以前から話されていた言語であるとされ(インド・ヨーロッパ語族言語でもないため)、言語学上、孤立した言語(言語的孤島)に分類されるのです。
by remona121 | 2005-07-22 19:09 | バスク

バスクって何?

さっそくバスクについて簡単に紹介したいと思います。

バスクとはスペインの自治州のひとつです。ピレネー山脈の西方にあり、スペイン語では「パイス・バスコ」、バスク語では「エウスカディ」といいます。バスク自治州はアラバ、ギプスコア、ビスカヤの3県からなっており、州都はアラバのビトリアです。

しかし、スペインのバスク自治州に限らず、「バスク人の住んでいるところ」をバスクと定義する考え方もあります。その場合、ナバーラ自治州とフランスのピレネー・アトランティック県の一部(スール、バス・ナバーラ、ラブールの旧3州)もバスクに含まれます。ちなみに、バスク人とは「バスク語を話す人々」のこと。しかし、今日この地域でバスク語を話す人口はスペイン側で約25%、フランス側では約10%に過ぎず、ほとんどはバスク語のほかにスペイン語またはフランス語を話すバイリンガルみたいです・・・。

ちなみにタイトルの「4+3=1」というのはスペイン・フランス両国の地域を合わせた7地域(スペイン:アラバ、ギプスコア、ビスカヤ、ナバーラ + フランス:スール、バス・ナバーラ、ラブール)が一つにまとまる!ということ。「Zazpiak Bat」はバスク語で「バスク領域が一つになる」というバスクのスローガンなのです。f0050553_2021307.jpg
by remona121 | 2005-07-20 19:23 | バスク

始めました☆

はじめまして。
私はスペイン好きの大学3年生です。この夏から私が所属しているゼミで「バスクとETA」について研究することにしました。このブログではその研究経過を綴っていきたいと思います。今はまだ本を読んだり資料を集めたりしているところで、まだまだ専門的なことは書けないと思いますが、バスクだけでなくスペインについても情報を載せていく予定なので、どうぞよろしくお願いします。
by remona121 | 2005-07-20 16:29 | その他