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スペインバスク地方とETAについてのblogです!でも最近は就活のこともupしたりしてます☆ぜひぜひコメント残していってください!


by remona121
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カテゴリ:スペインへの旅~paraトマト祭り( 6 )

Granadaⅱ

前回の旅行記から1ヶ月ぶりの更新、そしてスペインから帰国してからまもなく2ヶ月になるのに、まだ旅の半分くらいしか更新されてませんでしたね…。ま、気長にお付き合いください★

ではでは、さっそく前回の続き。アルハンブラ宮殿以外のグラナダを紹介します。

まずは王室礼拝堂(Capilla Real)。
1492年、レコンキスタが完了しグラナダをキリスト教徒の手に取り戻したイサベル女王は、グラナダに墓所を定めることにし、1504年建立が開始されました。その年イサベル女王は亡くなり、夫のフェルナンド2世も1516年に完成を見ないままなくなりました。そして1521年の完成とともに、イサベル女王の遺言通り、カトリック両王の柩が安置されました。そしてこの柩は今も安置されていて見ることができます。
ここ王室礼拝堂の見所は中央にある霊廟(Mausoleo)。大理石の墓石が2対並んでいて、右側にカトリック両王であるイサベル女王とフェルナンド、左側にその娘フアナ王女と夫のフェリペ王が眠っています。これらの墓石は紋章、聖人、天使やライオン像などの彫刻によってとても豪華に装飾されています。また、もう一つとても小さい柩が納められていて、これは幼少時代に短命で亡くなったイサベル女王の孫のものです。
スペインマニアじゃなくても、イサベル女王やフェルナンドの名前を聞いたことある方は多いのではないでしょうか??16世紀時代のスペインを今に伝える王室礼拝堂。ここはぜひ行ってみることをお勧めします。

次にカテドラル(Catedral)。
グラナダ陥落後、イスラム教大モスクの跡に1518年より建設が開始されました。当初はトレド大聖堂のゴシック様式を範とし建設が進められましたが、1528年以降はプラテレスコ様式になり、その後ルネッサンス風になり、今はゴシック様式とルネッサンス様式混合のカテドラルとなっています。写真に納まりきれてないので分かりづらいのですが、かなり巨大で立派なカテドラルです。王室礼拝堂の隣にあるので、立ち寄ってみてください。

f0050553_21222474.jpg
こちらの写真はアルバイシン(Albayzin)。この写真はアルハンブラ宮殿から撮ったものです。こちらアルバイシン地区は、アラブ統治時代に城塞都市として発展した、グラナダ最古の町並みが残る地区です。アルハンブラ宮殿とともに世界遺産にも登録されています。城塞都市として設計されたこの都市は、道が迷路のように入り組んでいて方向感覚を失ってしまいます。また、坂道と階段が多くあります。白壁の家が立ち並び、長く続く石畳の階段はこの地区独特のものだと思います。そして、高台に上ればアルハンブラ宮殿が一望できます。夕方になれば夕日に照らされ、夜になるとライトアップされたアルハンブラ宮殿を見ることができます。10月10日に放送された「世界の絶景100選」でもこの景色が取り上げられていましたね~。

また、グラナダでは洞窟内のタブラオでフラメンコを見ることができます。「タブラオ」とはフラメンコを見物しながら飲食するお店のことです。私もアルバイシンにあるロス・タラントス(Los Tarantos)というタブラオにフラメンコを見に行きました。右の写真がタブラオの内部です。分かりづらい写真ですが、写真下の四角形の板の上でフラメンコを踊ってくれます。本当に目の前で踊るのでとても迫力がありますよ~。ここのタブラオのチケットはホテルで扱っているところが多いので、見に行きたい方はホテルのロビーで聞いてみるといいと思います。フラメンコのみなら20ユーロ、送り迎え・夜のアルバイシン地区散策込みで25ユーロでした。25ユーロ出してもアルバイシンの散策付きがお薦めだと思います。
f0050553_2124621.jpg


グラナダはこんな感じです。やはり帰国から2ヶ月も経つと忘れてしまいますね…。バレンシアとバルセロナもなるべく早く書いてしまいたいと思います。
by remona121 | 2005-11-03 21:03 | スペインへの旅~paraトマト祭り

Granadaⅰ

8月27日の早朝、コンスエグラからグラナダ(Granada)へと移動しました。
この日は土曜日だったため、1日1本しか走っていないバスに乗り、ラ・マンチャ地方の交通の基点となるアルカサル・デ・サン・フアン(Alcazar de San Juan)へ。そこからレンフェ(国鉄)に乗り換え、4時間半かけてグラナダに到着しました。

<Granada>
グラナダはローマ時代イリベリースと呼ばれて栄えていました。8世紀になるとイスラム教徒が流入し、その後1492年のキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)完了まで、イスラム教徒によるイベリア半島支配の拠点として繁栄していました。とくにコルドバ王国が分裂し勢力が弱まると、グラナダはイスラム教徒の最後の王朝としてアルハンブラ宮殿を建設し、グラナダ王国の首都となりました。そして、1492年にキリスト教徒がグラナダ王国を征服したのちも、約1世紀にわたり繁栄し続けました。

(*レコンキスタ:8世紀にイベリア半島を支配したイスラム教徒に対して、キリスト教徒がその領土を奪い返し、イスラム教徒をイベリア半島から追い出そうとした戦い。)

ついでに…1492年は、スペインにとってもっとも重要な年と言えます。というのは、1492年はレコンキスタの完了の年であると同時に、コロンブスがイサベル女王の援助を受け新大陸(アメリカ大陸)を発見した年でもあります。その後スペインは世界中に領土を広げる大航海時代に突入していくのです。


グラナダの見所といったら、なんと言ってもアルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)。そのほかにもカテドラル(Catedral)、王室礼拝堂(Capilla Real)、アルバイシン地区(Albaicin)などグラナダにはたくさん見所がありますが、まずはアルハンブラ宮殿から紹介していきたいと思います。

f0050553_2116387.jpgグラナダは13世紀前半に築かれたスペイン最後のイスラム王朝、ナスル王国の首都でした。アルハンブラ宮殿は、ナスル王国支配時代(1232~1492)、21代の王によって造り上げられました。この王宮は外見は無骨ながら一歩中に入れば精緻なイスラム芸術の結晶が散りばめられており、「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とさえいわれました。「アルハンブラ」とはアラビア語で「赤い城」を意味しており、外壁に使われた石が多量の赤鉄を含んでいたため城壁が赤く見えたことに由来しています。ちなみに「Alhambra」と表記しますが、スペイン語では「h」の音は発音しないので「アランブラ」と呼ばれます。
アルハンブラ宮殿の敷地は本当に広く、ゆっくり回ると2~3時間かかります。一番の見所はやっぱり王宮(Palacios)です。王宮は入場時間が指定されているので、チケット購入の際時間を確認してください。時間は厳しく、指定された時間の5分前とかに行っても入れてもらえません。ということは、遅れても入れてもらえないと思うので気をつけてくださいね。 王宮は鍾乳石装飾のある見事な円天井やアラベスク模様が散りばめられた壁が本当に素敵です。造るのにどれだけ時間がかかったんだろう…?って思うくらい。ぜひじっくり見学してみてください。あとは…ライオンの中庭もなかなか素敵です!f0050553_21172277.jpg14世紀のもので、12頭のライオンに囲まれた水時計からこの名がつけられました。とは言っても、あまりライオンっぽくないんですけどね・・・。王宮のほかにはアルカサバ(Alcazaba)、カルロス5世宮殿(Palacio de Carlos Ⅴ)、ヘネラリフェ庭園(Jardin de Generalife)などなど・・・見所満載です。アルハンブラ宮殿はスペインで人気№1の観光地です。グラナダに行ったら行くしかないと思います。しかし、入場制限もあるので、いつ行くのか決まっているならBBVA銀行に行って事前にチケットを予約しておくことをおすすめします。
by remona121 | 2005-10-02 21:45 | スペインへの旅~paraトマト祭り

Consuegura

8月26日、私たちはラ・マンチャ地方(La Mancha)に到着しました。

<La Mancha>
ラ・マンチャとはアラビア語で「乾燥した土地」という意味で、その名にふさわしくそこは赤茶けた広大な大地が延々と続き、青い空に白い風車というスペインの代表的なシーンを見ることができます。この地方は夏はとても暑く冬は寒いので、春か秋が観光のベストシーズンです。交通は非常に不便で、バスや電車の本数も少ないので観光には要注意です。
スペインには「巡礼の道」や「銀の道」といった観光ルートがありますが、ここラ・マンチャ地方は「ドン・キホーテの道」として知られています。そして、今年2005年は世界的に知られている騎士道物語『ドン・キホーテ』の初版が刊行されてからちょうど400年になります。
作者ミゲル・デ・セルバンテスは、1547年マドリッドの東約30kmのところにあるアルカラ・デ・エナーレスに生まれました。『ドン・キホーテ』は一般に、最初の近代小説と位置づけられ、前編が1605年に発表されてから世界中で翻訳され、現在も読みつがれている不朽の名作です。前編の評判がとてもよかったため、セルバンテスを名乗る者が登場し、『ドン・キホーテ』の続編を刊行するという事件もありました。1615年に刊行された後編でドン・キホーテは病に倒れ死んでしまいます。セルバンテスはドン・キホーテが死んでしまうことで、今後偽物が出版されるのを防いだのです。
そしてこの物語の舞台の中心となるのが、ラ・マンチャ地方なのです。

『ドン・キホーテ』のお話を簡単に説明します。
スペインのラ・マンチャ地方のある村に住む主人公アロンソ・キハーノは、年齢は50歳近く、顔もからだも痩せていますが骨組みのがっしりした背の高い男です。彼は騎士道物語を読みすぎ、もう過去の存在である騎士になりきり自分も騎士として功名をあげたいと思うようになります。そして、彼は自分をドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗り、農夫のサンチョ・パンサを従士にし、やせ馬ロシナンテにまたがり、遍歴の旅に出発することになるのです。
ドン・キホーテが出会うすべての事物は、彼の空想または妄想によって思いもかけないものに変えられてしまいます。例えば…野原の風車は巨人に、ヒツジの大群は進撃する軍隊にみなされるのです。ドン・キホーテはそれら巨人や軍隊に勇敢に立ち向かっていきますが、いつも散々な目に遭ってしまいます。こうした失敗を繰り返しながら遍歴の旅を続け、結局は故郷に帰り騎士道を断念します…
また「ドン・キホーテ」とは、状況を無視して自分の理想の実現のために生き、行動するタイプの人間の代名詞にもなっています。


ドン・キホーテが巨人だと思い込んで突進した風車の群れがあるのは、カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)。そこからちょっと離れたところにあるコンスエグラ(Consuegra)に私たちは行ってきました。

f0050553_21111497.jpgコンスエグラはブドウ畑の広がる平原から突き出た丘の上にある人口8000人ほどの小さな町です。丘の上には風車が11基、丘の尾根に沿ってきれいに並んでいます。コンスエグラに行くにはマドリッドやトレドなどからバスが出ています。電車は走っていません。バス停に到着したら時計塔を目指し進んで行き、そこからさらに丘を登って行くと風車が見えてきます。現在この風車は使われてはいませんが、11基ある風車のうちの1基は売店、もう一基は観光案内所になっています。この2基は中を見学することができるので、ぜひ入ってみてください。

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コンスエグラは11基並んだ風車以外に見所はないかもしれません…。しかし、丘の上には気持ちがいい風が吹いていて、その風を感じながら風車を眺めるのは本当に最高です。ぜひ一度行ってみるコトをお勧めします。

ただ、ラ・マンチャ地方への交通は本当に不便&本数が少ないので、バスや電車の時間は必ず確認してから行ってください。ホテルも町に1件しかなかったりすることが多いので、もし泊まるなら予約していったほうがいいと思います。また、コンスエグラは小さい町だったせいか町の中の移動はすべて徒歩でした。もちろん歩いて回れる距離に風車やホテルはありますが、結構遠いので体力つけてから行ったほうがいいかもしれませんね~。


次の日、コンスエグラからグラナダへ移動しました~。
by remona121 | 2005-09-25 19:02 | スペインへの旅~paraトマト祭り

Toledo

8月25日の朝、私たちはToledoに移動しました。

<Toledo>
マドリッドの南約70kmにあるトレドは、スペインの代表的な観光地として有名な街です。この街はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの文化が混在し、1500年以上の古い歴史を持っています。また、トレド旧市街はユネスコの世界遺産にも登録されています。


f0050553_2134854.jpgトレドに到着して街の中心へ向かうと、まずビサグラ新門(Puerta Nueva de Bisagra)にたどり着きます。地図上ではバスターミナルからそんなに遠くはありませんが、果てしなく坂道なので市バスを利用することをお勧めします。ちなみに私たちは徒歩を選択してしまったため、トレドに着くなり疲れてしまいました…。街の中心、ソコドベール広場(Plaza de Zocodover)へ行くには、ビサグラ新門からさらに坂を上らなければなりません。暑くて本当に体力を奪われバスを利用するべきだったと後悔しました。

f0050553_2141045.jpgまず私たちが向かったのはアルカサル(Alcazar)。ローマ時代から裁判所があった場所に、アルフォンソ6世が11世紀にトレドをイスラム教徒から再征服し、要塞を建設したのが始まり。以降、500年にわたってカスティーリャ王国の首都となったトレドの軍事拠点として、重要な役割を果たしました。1936年のスペイン内戦の時には、約2ヶ月にわたりフランコ軍が立てこもり激しい攻防戦が繰り広げられ、建物は崩れ落ちてしまいました。現在はもちろん再建されています。…しかーし、私たちが行ったときは建物が古くなったのか改修工事が行われていて、実は建物の半分くらいは壊されていたのです。そのためもちろん中には入れず…。改修工事って一部だけ直すのかと思いきや、全体的に壊して建て直ししちゃってたんです。しかし、残りの半分は今は図書館になっているので入ることはできます。改修している方は博物館になっていたので、見られなかったのは本当に残念でした。

f0050553_2143392.jpg次にカテドラル(Catedral)を紹介します。トレドのカテドラルは6世紀に西ゴートの王によって建てられ、イスラム時代にはメスキータに造りかえられました。その後1226年、フェルナンド3世の命により新しく工事が始められ、1493年に完成しました。そのあとも、時代により増築・改築されオリジナルの部分は少ないようです。カテドラルの見所は、イサベル女王の王冠や宝石が展示されている宝物室(Tesoro)や、天井のフレスコ画がすばらしい聖器室(Sacristia)などです。もちろんそのほかにも見所はたくさんあります。closeの時間が結構早いので、ゆっくり見学したいなら早めに行ったほうがいいと思います。私たちはガイドブックで調べてから行ったのに、そこに書かれた時間より早く退出するよう言われてしまいました…。

トレドの見所のもう一つは、タホ川を隔てた場所から見る町の全景だと思います。ここのポイントは町の外れにあるので、1時間に1本しか走ってない市バスで行くか、もしくはタクシーで行かなければなりません。ツアーで行けば立ち寄るポイントみたいですけどね…。私たちはそこまで市バスで行ったのですが、次のバスが来るのを待っている間、ツアー客を乗せた何台もの観光バスが来て、みんな写真だけ撮って去って行きました。停車時間は5分程度。そんな場所なんです。景色を見る以外何もない…。もし行こうと思っている方は水とか持っていったほうがいいと思います。確か「Mirador」とか言うバス停でした。もしくは、パラドール(スペイン国営ホテル)が近くにあるので、そこへ行くといいと思います。
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トレドはそんなに広い町ではありませんが、町中が坂道で上ったり下ったり…。暑かったのもあって、本当に疲れました。また、道は車がやっと1台通れるほど狭く、細い路地が多いので、道に迷います地元の人に聞けば親切に教えてもらえるので、迷ってしまったときには聞いてみるといいと思いますよ。それから、トレドの名産にマサパン(Mazapan)があります。アーモンドと砂糖を練って作ったお菓子。トレドに行ったときには食べてみてください。
私たちは次の日の朝、トレドからコンスエグラに移動しました
by remona121 | 2005-09-21 17:48 | スペインへの旅~paraトマト祭り

Madrid

時差が7時間(サマータイム)もあるため、日本から約18時間もかかったのに、Madridに到着したのはスペイン時間ではまだ8月22日でした。この日から25日の朝まで、私たちはMadridに滞在していました。


<Madrid>
町の始まりは9世紀後半、レコンキスタ(国土回復運動)の際、北から押し寄せるキリスト教徒に対してイスラム教徒の軍事拠点として開かれた、マジュリートという小さな村に過ぎませんでした。1083年、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世がマドリッドをキリスト教徒の手に奪回。1561年に、当時の国王フェリペ2世が宮廷をトレドからマドリッドに移転し、以後大きく成長することになりました。

レコンキスタを完遂した16世紀、スペインは黄金世紀を迎え、ヨーロッパのみならず、全世界に領土を拡大し、マドリッドはその世界帝国の中心地として発展しました。豊かな国力からか、歴代国王は美術品の収集・芸術家の擁護に努め、ゴヤやベラスケスなどの優れた芸術家を輩出しました。それらの王室コレクションが、プラド美術館の母体となっています。17世紀にはフェリペ3世によりマヨール広場(Plaza Mayor)が建設され、町はここを中心に繁栄しました。

18世紀、フェリペ5世やカルロス3世により、新しい王宮やプラド美術館などが建設され、首都としての地位をゆるぎないものにしました。19世紀には旧市街の中心、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)が、20世紀にはグラン・ビア(Gran Via)が完成。1960年代以降、本格的な近代化を推し進め、現在はスペインの政治・経済の中心となっています。


私たちがMadrid滞在中に訪れたトコを紹介します。
まずは、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)。日本語で「太陽の門」という意味のこの広場は旧市街の中心になっています。中央に立っているのはカルロス3世の騎馬像。その向かいにある時計台のある赤レンガの建物はマドリッド自治政府庁です。また、マドリッド市の紋章になっている山桃の木と熊の像はマドリッド市民の待ち合わせ場所の定番となっています。日本で言う「ハチ公前」って感じかな…。

f0050553_20534087.jpg次にマヨール広場(Plaza Mayor)。フェリペ3世によって1619年に完成したこの広場は、過去3回火災に遭い、そのたびに改装され現在の形になったのは1953年。中央にはフェリペ3世の騎馬像が立っています。かつては王家の儀式・闘牛・祭り・宗教裁判の焚刑までさまざまな「見世物」が行われていました。赤い壁の集合住宅で囲まれたこの広場の1階部分は、バルやみやげ物店が並んでいます。私たちはここでCerveza con Limon(ビールをレモンスカッシュで割ったもの)を飲んだのですが…炎天下の中歩き続けたあとだったせいか、最高においしかったです!

 
f0050553_20561386.jpg王宮(Palacio Real)。マドリッド市内で最も美しい建物のひとつ。9世紀にはイスラム教徒の城塞があり、11世紀にマドリッドをイスラム教徒から奪回してからは王の居城として使われていました。1734年のクリスマスイヴに火災に遭い、現在の建物は1764年に再建されたものです。着工を命じたフェリペ5世は完成を見ずして亡くなりましたが、次のカルロス3世から、アルフォンソ12世がフランスに亡命する1931年まで歴代の王たちが住んでいました。建物内部は一般公開されていますが、今も公式行事に使われているため、何か公式行事があるときは中を見学することはできません。私も2月に行ったときは入れませんでした…。 王宮の正面にあるアルムデーナ大聖堂(Catedral de Ntra. Sra. de la Almudena)。 ガイトブックでは名前しか紹介されていないことが多いのですが、その外観はとてもきれいです。中に入ることもできるので、王宮に行ったときにはちょっと寄ってみるのもいいと思いますよ!(写真をこの記事の最後に載せておきます)

マドリッドのもう一つの見所、それは美術館。美術に興味がない私はマドリッドで初めて、美術館巡りをしました。マドリッドにはプラド美術館(Museo del Prado)・ソフィア王妃芸術センター(Centro de Arte Reina Sofia)・ティッセン・ボルネミッサ美術館(Museo de Thyssen-Bornemisza)の3大美術館があります。私たちはプラド美術館とソフィア王妃芸術センターに行ってきました。プラド美術館はスペインを代表する美術館で所蔵絵画は8000点にのぼり、展示されている作品だけでも3000点を超えているそうです。エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケスに代表されるスペイン絵画のほか、イタリア派、フランドル、オランダ、ドイツなどさまざまな作品が展示されています。ものすごく広いので、見たいところだけ絞って見るのがお勧めかもしれません。ソフィア王妃芸術センターは20世紀のスペイン美術の代表的画家であるピカソ、ダリ、ミロなどの作品を所蔵する国立美術館です。プラド美術館と比べると、作品のテーマがさまざまで近代的でおもしろいと思います。

マドリッドの見所はこんな感じですそんなに大きな街ではないけれど、1日で回るのはかなりしんどいと思います 2,3日かけて観光するのがお薦めです。
そして25日の朝、私たちはMadridからToledoに移動しました。

f0050553_20575370.jpg←王宮の正面にある大聖堂です。

↓これはアルカラ門。1778年に建設されました。街を歩いていると、突如こういう素敵なものを見ることができます。
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by remona121 | 2005-09-19 13:47 | スペインへの旅~paraトマト祭り

スペインへの旅

「私、トマト祭りに参加したいんだぁ☆」
・・・友達のこんな一言からこの旅は始まりました。

まずはスペインまでの往復航空券を手に入れることからはじめました。一番安い航空券を手に入れるため、お互い忙しい学校生活の中、ネットで調べたり旅行会社をはしごしたり…。 探し始めたのが遅かったせいもあってか、私たちが見つけた一番安い航空券は17万! 総予算25万と言っていたこの旅、飛行機だけで17万!?でもお互い「やっぱり行くの止めようか…」という考えは浮かびませんでした。

そして無事に航空券を予約し、今度は宿探し。私たちはスペインまでの往復航空券しか取ってないので、滞在中の宿はすべて自分たちで探さなくてはなりません。宿探しの基準はとにかく安いコト!ガイドブックやネットで調べ、メール・ネット・電話(結局、電話予約は出来ませんでしたが。)で計6ヶ所の宿を無事予約することが出来ました。(予約は完了していましたが、チェックインの時はちゃんと予約が取れてるのかいつも心配でした。もちろんすべて予約出来ていましたけどね)

航空券・宿ともに無事予約することができ、8月22日から私たちはいざスペインへと旅立ったのでした~。
by remona121 | 2005-09-18 20:54 | スペインへの旅~paraトマト祭り