スペインバスク地方とETAについてのblogです!でも最近は就活のこともupしたりしてます☆ぜひぜひコメント残していってください!


by remona121
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バスクとスペイン内戦

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みなさんは、この絵を見たことがありますか?
これは1937年にピカソによって描かれた『ゲルニカ』という作品です。マドリッドにあるソフィア王妃芸術センター(Centro de Arte Reina Sofia)で本物を見ることができます。

ゲルニカはスペイン内戦中の1937年4月26日、ドイツのコンドル飛行部隊によって爆撃された、バスクの文化的伝統の中心地です。前回書いたように、アギレが大統領の宣誓を行った場所であり、バスク自治の象徴である聖なる「オークの木」があるところです。
この爆撃でゲルニカは町の71%を焼失し、人口7000人のうち約2000人(28.6%)が犠牲になりました。このゲルニカ爆撃の知らせがフランコに伝わると、彼はその責任を否定し、バスク軍が自らガソリンを撒いて破壊したのだ、という声明を発表しました。その後、パリにいたピカソがこの事件を聞き、爆撃で亡くなった人間や動物をモチーフに、パリ万国博のスペイン館の壁画にこの作品『ゲルニカ』を制作し、世界中に戦争の悲劇と恐怖を伝えることになったのです。
ゲルニカ陥落後、バスク軍の最後の拠点ビルバオもドイツのコンドル飛行部隊による空襲を受け、6月19日に陥落します。そして6月27日にはフランコ国民戦線軍(反乱軍)はビスカヤとギプスコアの地方自治特権を廃止し、バスク自治政府は亡命政府となってしまいます。その後、亡命政府はバルセロナ・フランス・ニューヨークと活動拠点を移動しますが、もはや政治的な力は持っていませんでした。
フランコにより自治権を廃止されたバスクでは、バスク語は禁止され、そればかりかバスク的なもの全てが禁止されました。また、バスク人民戦線側を支持したカトリック教の神父たちの中には死刑に処せられる者もいて、このバスクに対する弾圧は海外のカトリック教徒にも衝撃を与え、フランコ政権に対する抗議が集中しました。
第二次世界大戦が終わった1945年、バスク亡命政府は国連やユネスコにフランコ政権による弾圧を訴えましたが、それが受け入れられることはありませんでした。
国連などに受け入れられないことが分かると、バスク民族主義党青年部の中からこの状態を自分たちでどうにかしよう!と立ち上がる者が出てきて、彼らによって1959年「バスク祖国と自由(ETA=Euskadi Ta Askatasuna)」が結成されることになったのです。
一方、アギレは翌年の3月22日に亡命先のフランスで亡くなってしまいました。

このような過程を経て、「バスク祖国と自由(ETA)」は結成されました。フランコ政権による武力弾圧に抵抗するためには、必要な組織だったのだと思います。しかし、ETAは1960年代末からテロ活動を活発化させ、その犠牲者は800人にのぼります。そのため、スペイン政府による取締り、弾圧も厳しくなっていったのです。

ETAの詳細については少しずつupしていく予定です。
by remona121 | 2005-10-28 16:04 | バスク