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スペインバスク地方とETAについてのblogです!でも最近は就活のこともupしたりしてます☆ぜひぜひコメント残していってください!


by remona121
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まとめ

まとめ

 以上述べてきたように、バスク・ナショナリズムの起源は、19世紀後半のバスク地方工業化による社会・経済の変化であり、バスク独自の言語・伝統が消滅してしまうという危機感であった。
 初期のナショナリズムはアラーナによって確立され、バスク民族を決定づけるものはバスク語や生活習慣ではなく、何よりも血族であるとした。一方、その後登場するクルトヴィヒは、バスク語こそがバスク民族を決定付ける第一の要素であるとし、バスク民族とバスク語は切っても切れない関係であることを主張した。また、工業化によって非バスク化が進む都市部と伝統的生活が残っている農村部では、バスク・ナショナリズムに対する意識に違いが見られた。その後、フランコの弾圧に抗する組織としてETAが成立する。ETA内部でもイデオロギーの相違による分裂や統合などが繰り返され、共通の目標に向かって活動してきたわけではない。
つまり、どの時代を見ても、バスク・ナショナリズムの定義は一つではなかった。むしろ、その時代や地域的特性によりその定義は曖昧であり、そこに住む人々の意識も違っていたと言えるだろう。しかし、共通して言えることは、彼ら自身がバスク人とはいかなるものかを試行錯誤を繰り返しながら見つけ出し、常に自分たちがバスク人であることを主張し続けてきたということだろう。
 ETAの活動は、フランコ政権の時代にはバスク住民の支持を得ていたが、独自の自治権を得た今も続くテロ活動は、バスクのマイナスイメージを増殖している。政治的要求を提唱していても、テロを繰り返す限り、彼らは非道な犯罪組織でしかない。現在では、ETA結成当時のナショナリズムの思想は失われ、過激化するテロ活動から世界のテロ組織リストに名を列ねるほどである。2006年3月、政府との和平交渉に向けてETAは恒久停戦を宣言した。このまま停戦が続けば、政府もETAとの交渉を開始するとしている。しかし、以前にETAは停戦を宣言したにも関わらず撤回し武装闘争を開始し、政府との交渉がうまくいかなかったこともある。政府のETAへの不信感の根はとても深いものとなっている。違法政党であるHBの合法性返還や、ETA受刑囚の状況の改善の要求を政府はどう対処するのか。また、停戦期間中にも関わらず、ETAによる暴力事件が後を絶たない。ETAと政府の和平交渉はそれほど簡単には進まないだろう。
 バスク・ナショナリズムやETAについて調べることで、私たち日本人にはあまり見られない民族意識の強さを感じた。それは、彼らがバスク人として誇りや自信を持ち、それを守り通したいという想いからなのだろう。また、スペインの中のバスク、ヨーロッパの中のバスクという位置づけは、島国である日本とは違い、彼らの民族意識をさらに強めるものになったに違いない。バスク人はスペインが建国される以前から、バスク地方に住んでいた民族である。しかしながら、どの時代を見ても、スペインの中のバスクという位置づけであり、使う言語が違っても彼らはスペイン人であるとされた。バスク・ナショナリズムの根底にあるものは、自分たちをバスク人という1つの民族だと認めてほしいという要求といえるかもしれない。
バスク・ナショナリズムの歴史はまだ終わったわけではない。今後のスペイン政府の対応によっては、将来もしかすると、バスクが1つの国として独立することがあるかもしれない。

〈参考文献〉

・大泉光一(1993)「バスク民族の抵抗」新潮社
・狩野美智子(1992)「バスク物語―地図にない国の人々―」彩流社
・萩尾生(2002)「変容するバスク・ナショナリズムとその多様性」
(立石博高・中塚次郎 編「スペインにおける国家と地域―ナショナリズムの相克」国際書院pp145-190)
・萩尾生(2005)「バスク自治州におけるバスク語」
(坂東省次・浅香武和 編「スペインとポルトガルのことば―社会言語学的観点から―」同学社 pp89-117)
・渡部哲郎(2004)「バスクとバスク人」平凡社

(*章もしくは節ごとの、参考文献の表示は省略しました。)


2007年1月9日
by remona121 | 2007-01-09 22:04 | 卒業論文